手書きとデジタル
冷たい紙と温かい携帯
手書きの手紙を温かいと言い、
熱を持った電子機器からの文字を冷たいという。
初めて携帯を持ってから10年以上が経った。
人生の半分を共にしていると思うと
なぜだかぞっとする。
勉強は紙を使って
手を動かしたほうがいい。
お金は現金のほうが安心。
手紙やCDのほうが、メールやSNS上の音楽よりもぬくもりがあるんだ。
そんなことを少年少女の時代から聞いてきた世代だ。
つまりは、記憶があるころからアナログとデジタルが戦ってきた世代だ。
今や連絡はメールの時代を過ぎてSNSの時代で
ストリーミング再生の音楽を聞くばかりになった。
CDや紙の本は好きだ。
でも、使う頻度が高いのはストリーミング再生する音楽だし
漫画はデジタルで読むことも増えた。
結局はデジタルの人間なのだと思う。
会社でも紙を使わない。
世間はどんどんデジタルに向かっている。
環境のためのデジタル化、人権削減のためのデジタル化
コロナ禍で一層進んだように感じる。
そんなデジタルに向かう世の中で、
若手はまだ手書きのメモを取るのだろうか。
メモを取る姿勢として
手書き>=PC>携帯
の構図があるのはなぜなのだろうか。
はたまたそんなものは私の幻想で、認識のゆがみなのだろうか。
効率化に向かう世の中で、苦労している若手を見るのが
好きな年長者がいるのも事実ではないか。
こんな矛盾と疑問が頭を光の速さで通り過ぎた。
私は気にせず今日も先輩の言葉を携帯とPCでメモする。
先輩だってこの世の中に慣れて、楽であることを実感している。
メモをとりながら先輩の顔を覗き見ると、案外気にしていないではないか。
それより大人は忙しいのだろう。