社会人の放課後

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赤毛のアンを読んで~心の友~

 

10年以上前に読んだ赤毛のアンが今でも私のお気に入りの本です。

 

最近改めて読書をするようになって、赤毛のアンとの出会いを

思い出したので読書感想文を今更になって書いてみようと思います。

 

私が赤毛のアンを手にしたのは小学生の中学年頃だったと思います。

本が好きだった私は、家で風通しが良くて静かな部屋で一日中本を読んでいました。

お気に入りのシリーズの本を何度も何度も読んでいました。

そんな生活の中で、本好きの叔母が赤毛のアンをプレゼントしてくれました。

私がそれまで読んでいたのはハードカバーの児童書でしたが、

叔母が送ってくれた赤毛のアン

ハードカバーで分厚くて、なかなか読む気にはなりませんでした。

 

それから数年、赤毛のアンを読むことはなく本棚に眠っていました。

しかし、小学生の高学年になり時間を持て余していた私は

なんとなく赤毛のアンに手を伸ばしました。

 

時間を忘れて読み進めました。

 

私とアンには重なる部分がありました。

想像力を以って自分を自分の人生の主人公にしているところです。

 

当時の私も同じでした。

自分は自分というお話の主人公で、ほかの人とは違う

なんとなく特別な存在だと信じていました。

なんだか今は自分が普通の人間だと受け入れられているような

大人ぶった書き方をしましたが、ほんとは今でも思っています。

自分は特別な人間で、ほかの人とは違うのではないかと。

 

今の話は置いておきましょう。

 

当時、周りの友達に自分の内面を見せるとか、

自分の胸の内を話すとか、そんな真面目なトーンで話せる友達は

いませんでした。

それに、「私は自分の人生の主人公だと思っている。」とか

「想像力で自分の周りがきれいに見える。」なんという考えは

自分で言語化したことがありませんでした。

潜在的に思っているだけ。

それをアンは言語化していました。

 

そこで私はアンを、赤毛のアンという本を心の友と感じるようになりました。

この、「心の友」という語彙をくれたのも赤毛のアンです。

 

自分の内面への気づきや、それを言語化する手助けをしてくれたのが

赤毛のアンでした。

 

アンが思春期になって思ったことのすべてを発しなくなる表現も、

なんとも現実的ですよね。

私も、すべての感情を声に出すわけではない人間なので、

その部分にも共感しました。

 

とまあそんなことがあって、今でも赤毛のアンは私にとって忘れられない

一冊です。

赤毛のアンに対する好意的な考えを言語化する機会が

これまであまりなかったので、今回はいい機会となりました。

 

読んでくれてありがとう。